有限会社ACAハセガワでは、貴女の為に世界で一つのハンドバッグをオーダーメイドで作り上げます。ARS樹脂、プラスチック、アルミニュウム以外の革・皮製品のあらゆる修理の相談に乗ります。

皮革の色落ち防止剤

海外から届いた商品が色落ちした。製品検査に通らない困ったな。堅牢度検査に通らないなどの困ったにはオキドキを思い出してください。

色落ちは昔から、皮革業界の常識であると言いながら、金銭的にも、商売運営の上にも誠に頭の痛い問題でありました。

永い事、革は欧州、南北アメリカ輸入されている歴史がありました。ファッション業界全体が欧州から様々な
事物、デザイン、素材をいただく立場にありました。戦前にはこれらの品物は政財界、産業界の成功者のご家族に
愛用されていたものが多く大きな問題にはならず、日本のご婦人からもクレームになるケースは多くはありません。

理由は日本での皮革ハンドバッグの普及と国内産皮革製のハンドバッグの色落ちが少ないことから業界人が悩まされていたことです。欧米では皮革の色落ちはあまりにも当たり前で業界人も、一般人も皮革の欠陥とは認識されて居ませんでした。数千年にわたる長い長い日常の歴史の中で皮革製品を使用してきたからです。

ところが牛、鹿この日本では一般の日本人にはなじみの薄い素材でした。おなじみの甲州印伝、奈良印伝と呼ばれる鹿革製の商品も柄は漆で凸凹を作り、着物や帯に色が移らないような工夫をしてきています。

開国前から以後の皮革は欧州人が日本に持ってきてくれました。それから日本の皮革製品が発展してきました。

太平洋戦争で敗戦後しばらくは布製、ビニール製、植物性などから、経済成長とともに欧州からブランド製洋服や
ハンドバッグ、皮革が輸入され製品化され、百貨店、地方専門店で販売され始まりました。もちろん国産皮革も広がってきました。すると色落ちのクレームが百貨店を核に入り始めてきました。

高い価格で購入した品物が色落ちすることは許されません。色が移った洋服とともに百貨店はいとも簡単に輸入業者、バッグメーカー、バッグ問屋に弁償金を支払うよう命じられました。トラブルを回避のためです。

数年して、海外品輸入自由化後はさらに増加してきました。
そこで我々日本側も昭和28年~昭和30年ごろから、国産の皮革の色落ちが少なくなったことに気付き自分の会社の使用している皮革を調べればよかったのですが、皮革の製造工程を訪ねるには流通段階をさかのぼることが困難でしたからそのままにしてしまいました。それから、平成6年まで、全国の輸入革使用の商品、輸入品、海外生産品は多額の金額を支払う時代が続きました。